IE9ピン留め
民芸音読研究会と久
1月27日(金)夜のイベント参加のおしらせです。

俳優の丸房紀美子くん主宰の、民芸音読研究会の作品を演出します。
民音の活動および丸房紀美子という生き物についてはコチラをドウゾ。

1月25(水)、26 (木)、27(金)の三日間に渡って
新宿JAMで行われる60時間ライブイベントの中で、
「Kan!Kon!Sou! !SAI!」という作品を上演いたします。15分の作品です。
われわれの出番は27日(金)19:30から20:20からの予定です。
※開始時間が変更になりました。ご注意下さい。
他の演目がおしたりひいたりする可能性もございますので、そのあたりはライヴハウスの雰囲気を楽しんでいただければ幸いです。

丸房氏曰く

卒業式と結婚式とお葬式を同時に体験することで、どんな気持ちになるのかな
という試みです、本番会場でしか味わえない物がポロポロ出てくることでしょう

だそうです。オモシロソウデスネ!!!!!

三日間、途中入退場自由で最大60時間様々なパフォーマンスを楽しめるイベントです。
入場料2500円、ドリンク500円〜で
合計3000円からチケットを購入できます。

出演…アイハラミホ(ダンスパフォーマンス)、アイルビユアミラ(ドラム)、朝マック(バンド)、アレクサンダー蹄(ジャグリング)、飯田華子(紙芝居)、生澤由一(朗読)、石川慶(舞踏‐天空揺籃)、石丸だいこ(ダンスパフォーマンス)、いずみひな(芝居)、板KEN(DJ)、ITSUKI(DJ)、井原脩誌(MC)、エピックのぶ(東京サーカス)、em(DJ)、長田一美(緊縛)、小川エルミニアン(ウクレレ)、Carp(DJ)、巌汰・G・くらっしゃー(エアギター)、北川周平(緊縛・DJ)、栗木健(パーカッション)、こぐまっぽい。(バーレスク)、小坂篤史(芝居)、坂本弘道(チェロ)、笹田美紀(朗読)、沢田王子(ジュリーショー)、GeakBoy(DJ)、Jon(犬)、SHIZU(ダンスパフォーマンス)、シスターポール(バンド)、上海マリー(シャンソンと昭和流行歌)、小心ズ(音楽パフォーマンス)、素股Q(DJ)、SeM(ライヴペイント)、タカダアキコ(ダンスパフォーマンス)、高橋宏輔(ドラム)、田村専一(映画)、デイジー(デイジーショー)、てるり(バンド)、東京クレオパトラ(パフォーマンスショー)、東京ディスティニーランド(芝居)、七雪ニコ(ストリップショー)、乳(バンド)、猫飯楽団(バンド)、高襟(ダンスパフォーマンス)、パオ(パフォーマンス)、バターウルフ(バンド)、バロムワン(バンド)、廣島屋(紙芝居)、Black Ribbons(バンド)、フレディ・ダミノジド(ダンスパフォーマンス)、 まかべりかこ(イカれアイドル)、maguna-tech(ノイズとダンス)、満緑全席(バンド)、みぃ。(DJ)、ミキオ(芝居)、MIWA Marvelous(ダンスパフォーマンス)、芽瑠(DJ)、ももいろぞうさん(芝居)、ゆっこ(DJ)、レイヴマン(DJ)、蓮(DJ)、VI☆妙(白塗ファッションライヴ)

メールしておけば丸房氏が(特に女性は)エスコートしてくれるらしいですし、佐藤も3日間何かと居ります。ビールの相手とかにもご利用ください。的確な芸術論とかしゃべります。
ご予約はコチラへポチッとどうぞ。


もちろん直接ご連絡いただいてもらぶゆーです。
けっこう血湧き肉躍ってます。
丸房紀美子くんは、私が日本の俳優で二人目くらいに才能があると目しているやつなので、で、私は日本一才能のある演出家なので、これは大ニュースなんですよ!未来のね!
「私実はアレ見てるのよ」と自慢できることうけあい。20年後とかに。
是非!
カウンターバー前でお待ちしておりまっする!

佐藤久

# by satoseijun | 2012-01-30 03:17 | おしばいをつくる | Trackback | Comments(0)
ことしも


# by satoseijun | 2012-01-01 00:00 | おにんぎょうとあそぶ | Trackback | Comments(0)
田んぼの真ん中の服屋で働くこと、もしくは美貌の青空
田んぼの真ん中の服屋には毎日いろんなお客さんがくる。
裾上げのピンを打ちながら、服を買うひとの愛おしさに、試着室で泣きそうになる。
ひとはなんてひとりひとりちがっているんだろう、と
いろんな長さに切られるジーンズを見て、おもう。
足の長さがおんなじひとすらいないのに、
代わりのきくひとなんてこの世にいるわけがない。

もじもじした小さい女の子が、おばあちゃんにコートを買ってもらう。
「試着室」というものに照れて恥ずかしがる女の子は、真新しいコートを羽織って、にこにこしたおばあちゃんの顔を見上げる。
地上には素晴らしいものがたくさんあるから、いつかそれらは失われる。
コートは古くなり、女の子は女になり、おばあちゃんはいなくなる。
あの時間の凝りのように存在するコートにさわれてわたしは幸せだった。

制服の上に着るカーディガンを、グレーにするかベージュにするかずっと悩んでいた紅顔の少年は、自転車に乗って朝の道をゆく。

防風のズボンをまとめ買いした親父さんは、トラックを駆って山へゆく。

何着も試着してやっと決めたレギンスをブーツインして、お姉さんはたまの休みに出掛ける。

ジーンズを裾上げしていたお婆さんは試着室の壁の広告を読んだ。
「ズボンまとめ買いがお得」
慌てて呼び出されたお爺さんは隣の試着室で、真新しいコーデュロイを「なんでもいいよ」と言いながら裾上げする。
安全ピンと伝票のついた二本のズボンを、レジで会計したあと、二人は一緒に帰るのだ。

「テレビでよくやってる、ほら、あの、うんとあったかいやづ」を家族分買ったお母さんは、レジまで行って、やっぱり戻って、自分用のスタイルがよくなるズボンもカゴに入れた。

わたしはひとが愛おしい、と、寝る前にブログに書く。

美貌の青空。

# by satoseijun | 2011-12-04 02:02 | ぶんしょうをかいて | Trackback | Comments(0)
猫の腹は悲しみを食べて膨れる

「獏が悪夢を食べるように猫は悲しみを食べる」という言い回しがありますが
まあ偶然にしても、人間側がそう感じるできごとはよくあります。
しくしく泣きだす三秒前ににゃーと寄ってきてグルーミングしてきたり

一緒に寝てて、夜中の運動会タイムで部屋を出て行ったけれど、
眠れずにうーんうーんと唸りだす三秒前に戻ってきてぬくい布団で寝かせろと潜ってきたり
私が泣き出すと猫は眠ります。
泣いてスッキリすると私も眠ります。

あんまり猫に人間的な感情を見出すのは非猫的なのでしないようにしてますが
眠る猫の腹は悲しみを食べたかのように膨らんで波打っています。
# by satoseijun | 2011-11-15 15:37 | ぶんしょうをかいて | Trackback | Comments(0)
カラッポだからうつくしい
ひたすら人形写真。











# by satoseijun | 2011-11-07 23:13 | おにんぎょうとあそぶ | Trackback | Comments(0)
うちのひとろぐ;ウワバミさん
今回のうちのひとろぐはこの方です

真上から。
タイトルで若干バレておりますが
なんだかわかりませんね。

このカタチでピンときた方は
ココロが子供ですやね。

お腹には謎のジッパー…

!!!
中にはゾウさんが!

サン=テグジュペリの「星の王子さま」の冒頭に登場する
「ゾウを呑み込んだウワバミ」のぬいぐるみです!

箱根の星の王子さまミュージアムで一目惚れして連れて帰りました。

対決。

モンチッチで有名なぬいぐるみメーカー、セキグチ製だけあって
形も縫製も手触りも
そうくるか!な工夫にあふれています
ウワバミさんは短毛のベロアっぽいテロテロした生地で、
ゾウさんはちょっとフカフカしておりまして
取り出す時の手触りが楽しめる逸品でございます。
# by satoseijun | 2011-11-06 19:40 | うちのひとろぐ | Trackback | Comments(0)
おばあちゃんと久
もしこの地上に生きる意味があるとするなら
それはかっこつけることなのかもしれない
ちくしょう、と歯を食いしばり
苦しくとも凛として
センスのいい着物を着て
部屋を整え、美しいものに囲まれ
自分を美しく保ち
弱音を吐かず、決して屈しない
意地悪にも痛みにも衰えにも女であることにも屈しない

残される者に「しっかりやれ」という力を与えるような力強い死があるなんて、初めて知りました。
おばあちゃん、めちゃくちゃかっこよかったよ。

# by satoseijun | 2011-10-31 08:29 | ぶんしょうをかいて | Trackback | Comments(0)
やくしまるえつこに見る三島由紀夫の夢
「ユリイカ」11月号特集*やくしまるえつこを仙台の丸善で買ってきた。最後の一冊であった。
東北本線の中でぞっとするような美しい夕陽に照らされて、下校する女子高生の太股をBGに読んだわけだけれども、なかなか、ユリイカらしい、示唆に富んだ、ひとこと足りない、俺にもひとこといわせろとなる、良い特集であった。寄稿者の文章のレヴェルがまちまちすぎて笑ったけど。

やくしまるえつこの話をするなら、しなきゃいけない話がたくさんある。
たとえば戸川純だったり、椎名林檎だったり、人間活動に専念しちゃった宇多田ヒカルだったり、
綾波レイだったり最終兵器彼女だったりクラナドは人生だったり初音ミクだったり
ベルメールの人形だったり丸山明弘だったり寺山修司だったり内藤ルネだったり

三島由紀夫だったり。

ほかのもの、とくに「少女」の系譜についてはオトコの人たちがたくさん書いてらっしゃるので、
佐藤久は三島由紀夫の夢について書こうと思います。

三島由紀夫は天才プロデューサー平岡公威によるアイドルユニットである。
デビューシングル「仮面の告白」のタイトル通り、平岡公威は「三島由紀夫」というキャラを駆使してヒットを飛ばしまくり、
最後はそのアイドルのコンセプトを全世界に発信すべく「三島由紀夫の首」というプロモーションビデオの撮影・発表イヴェントで死んでしまった。
三島由紀夫は、自分で自分のことを商品に仕立て上げる、セルフプロデュースの先駆者であり大成功者である。

そんでもってやくしまるえつこは現代のセルフプロデュースの天才だ。

件の「ユリイカ」から鮎川ぱて氏の文章を引用すると、

相対性理論にかぎらず、やくしまるの諸作品には、前出の「男性が、男性への憧れを女性に歌わせる」という図式を含め、男性が書いているという手触りが“意図的に”残されているような印象も受けるのだ。少女を一部とする関係構造。その絶妙な緊張関係こそは、プロデューサーであり、少女であるやくしまる自身によって設計されていた。


ホモソーシャルな世界に切り込むために「憂鬱でナルシストな天才作家」というセルフプロデュースを行った三島由紀夫。三島作品を読んでいると、「少女」のモチーフが繰り返し繰り返し登場することに気付く。たとえば「禁色」で美少年・悠一を老作家・俊輔から奪う華子は少女だ。「潮騒」で少年に火を飛び越えさせるのも少女だし、「近代能楽集」にいたっては「班女」の花子・実子を筆頭として、最強で透明で黒髪で白いワンピースで裸足の少女が目白押しである。
その少女たちはいちおう、美少年たちに突きつけられる「現実」の権化だと作中では語られているが、
この少女と少年の対立は八百長じみている。
現実には最強で透明で黒髪で白いワンピースで裸足の少女など現れないし、
それによって同性愛をくじかれる美少年など、この世に存在しないからだ。
平岡公威Pは「少女に傷つけられる美少年を描く三島由紀夫」というファンタジーを高クオリティで提供し続けた。

で、やくしまるえつこはというと、
何のため、おそらく「第二宇宙速度を超えて拡散」するため、「ゆるふわで頓着しない天才シンガー・ソングライター」というセルフプロデュースを実行中である。そしてやくしまる作品には少年が執拗に登場する。
三島由紀夫と同じ、八百長じみた架空の少年と少女の対立がそこにはある。
薬師丸悦子P(仮)は「少年を傷つける少女を体現するやくしまるえつこ」というファンタジーを高クオリティで提供し続けてくれるのではないか、と期待するわけである。

私もはじめて相対性理論を聴いた時には完全に騙されました。
「これ歌わせてる男天才だなー」とか言ってました。
そしたらセルフプロデュースだと。
まさか、最強で透明で黒髪で白いワンピースで裸足の少女、を、セルフプロデュースできる人間がいるとは思いませんでした。間違いなく彼女は天才です。

詩を身体に顕現させる技術について、彼女は本当にプロフェッショナルです。
それは三島由紀夫が夢に見続けた技術でもある。

だから、やくしまるえつこみたいになろうとするんじゃなくて、
やくしまるえつこを作るやくしまるの技術を盗みたいね、ほんと。

僕/を/あの/不在の岸/に/記す

という言葉を、「三島由紀夫の再来」というプロデュースを(セルフではないけど)されている平野啓一郎氏の作品「追憶」から引用して終わります。
# by satoseijun | 2011-10-28 16:16 | ぶんしょうをかいて | Trackback | Comments(0)
栗原市と久
いま、映画監督の大澤大介さんに撮影してもらった私の故郷の映像と、私の書く随筆とか短歌とかを組み合わせた何かを作っております。

せめてもの弔花のつもりか伊豆沼よそんなにそんなに蓮を枯らして

ふるさとは遠きにありて思うもの帰るところにあるまじや、について、
市民というものについて、
セシウムと米作りについて、
秋について、生活について、
死について、嘘について、恨みについて、諦めについて、ダブルスタンダードについて、
しっかり作ります。

あと小学校の学芸会のお手伝いを今年もやっております。

年末は演出の仕事で東京に行きます。

新作の演劇作品の構想も練っております。あとバイトもしています。

だれにもなにも恥ずかしくなく生きております。
あとやっぱり人間なので、むかつくことにはあいかわらずむかついています。
やっぱあやまってほしいもんはあやまってほしいっすよ。

直で。

私は私の責任は取ったしこれからも取り続ける。
# by satoseijun | 2011-10-21 02:11 | ぶんしょうをかいて | Trackback | Comments(0)
結合不安と分離不安、すなわち愛
仔猫のルカははじめ、わたしに対して
「こいつを愛していいのか」
と悩んでいるふしがあった。

まあ人間の勝手な想像だがルカ曰く

生まれた家からもらわれてきて
よくわからないが餌をくれるしトイレの砂も替えてくれるしいじわるしないし
まあ利用価値はあるから仲良くしておくか、という感じの数日。

起きたら必ず居てミルクをくれて
よくわからないが叱られたり爪研ぎの場所をしつこく限定されたりして
まあ相互利用のためには従っておくか、という感じの数日。

ある日なんだかわからないが居なかった。
にゃーにゃー鳴いて探したが居なかった。
よくわからないが居なかった。
日が暮れてから帰ってきたので飛びついてミルクを出させて
それから眠るまでずっと指をちゅくちゅく吸ってやった。

仲良くしてもいいと思う。従ってもいいと思う。でも居なくなるなら愛したくない。


母と子の間に分離不安が生まれるのは江藤淳やフロイトを引くまでもなくたいへん科学的で自然なことだが
もしかしたらその手前に、「結合不安」というものがあったのではないかとわたしは考える。
もちろん誰も憶えていないけれど、
このものを愛していいのかどうか逡巡したことが、じつはあったんじゃないかと。
そして逡巡の結果、なんとなくなのか決断があったのかわからないけれど
我々は愛することを選択した。
多くの人間が気味悪いと感じる、宇宙人グレイの顔が、生まれたばかりの目のよく見えていない赤ん坊が見た母親の顔に似ているんじゃないかという指摘もある。
愛することに不安を覚えるのは、もともとの心の特性で、
裏切られた経験を学習したから、だけとは、いえないのではないか。

その結合不安を乗り越えて愛したのだから、
その愛を加減せねばならない分離不安がきっついのも当たり前である。

まあつまり、愛していいのか不安がり、愛を加減することに不安がっているのは、
ルカではなくわたしなのだけれども。
# by satoseijun | 2011-09-29 15:45 | ぶんしょうをかいて | Trackback | Comments(0)
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